広瀬栄一コレクション古文書●江戸末期~明治初期 元禄3年幻住庵記 松尾芭蕉 春夏庵三木雄(三森幹雄)謹書 231022

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商品情報

和紙が比較的新しいことから江戸末期から明治初期に書かれた物ではないかと思います。
書家の名前が判りました。
三森 幹雄(みもり みきお、文政12年12月16日1830年1月10日) - 明治43年(1910年10月17日)は、江戸末期から明治初期の俳人。11世春秋庵。正岡子規によって攻撃された旧派句会を代表する俳人の一人である。

福島県石川町(当時形見村)の農家に生まれた。本名は三森寛、幼名は菊治。染物屋で徒弟を務めた後、半田銀山や宮城県岩沼の藍染商人の手代として働いた。その間、地方の師匠のもとで俳句を学ぶ。26歳で、江戸に出奔し志倉西馬に弟子入りした[2] 。
明治6年(1873年)、幹雄が44歳の時に明治政府の文化政策として大衆教化のために教導職を設け、俳諧師も教導として選考することになり、試験が行われることになった。当時の有名な俳諧師匠が受験に消極的ななか、幹雄は俳人としては鈴木月彦とともに訓導として選ばれることによって、俳句界での地位を得ることになった。明倫講社を組織し、明治13年(1880年)、雑誌「俳諧明倫雑誌」を創刊した。
明治17年(1884年)、教導制度が廃止されると「神道芭蕉派明倫協会」に改組し神道の一派として独立させ、教導資格の発行という方法で会員を増やした。明倫講社の経営が独善的であったことや、政府の意向をうけて俳句を国民教化という目的で解釈することなどが子規の攻撃対象となった。それでも明治30年代の都新聞や、雑誌「太陽」での俳人の人気投票では上位をしめた[3]。
明治26年(1893年)、春秋庵を継ぐ。明治41年(1908年)、春秋庵を長男三森準一に譲り、天壽老人と号した。明治43年(1910年)10月17日、82歳で死去。著書に『俳諧自在』『俳諧名誉談』『歳時記季寄』『文學心の種』などがある[2]。出典:ウィキペディア

春秋庵とは、江戸中期の俳人白雄(しらお)庵号。出典:コトバンク

白雄とは加舎 白雄(かや しらお、元文3年8月20日1738年10月3日) - 寛政3年9月13日1791年10月10日))は、江戸時代俳人は吉春・競、通称は五郎吉、別号は昨鳥・春秋庵・白尾坊、露柱庵など多数。父の祖母方の姓をとって「平田忠次郎」と名乗ったこともある。 与謝蕪村大島蓼太などと共に中興五傑及び天明の六俳客の一人。鴫立庵の庵主。
信濃国上田藩の江戸詰め藩士加舎忠兵衛吉亨の次男として、江戸深川に生まれる[1]。宝暦末期に宗匠の青峨門に入門し、舎来と号し、1765年(明和2年)松露庵烏明と、その師にあたる白井鳥酔に師事した[2]。1767年(明和4年)初めて自藩を訪れ、1769年(明和6年)姨捨山の長楽寺に松尾芭蕉の句碑を建立した。1770年(明和7年)『おもかげ集』、翌年『加佐里那止』を刊行する[2]。
1775年(安永4年)、鳥酔の七回忌に松露門を破門されると江戸を去り、自身の門人を引き連れて諸国を行脚。1780年(安永9年)江戸日本橋鉄砲町に春秋庵を開いて自立して関東に一大勢力を築き[2]、建部巣兆、倉田葛三らの門人を育成した。1788年(天明8年)芭蕉百回忌句会を催し、蕉風復古者として認知された[2]。門人は4000人を数え、俳人として名を知られた者だけでも200人以上いたという[1]。品川の海晏寺に墓がある[1]。
無技巧だが繊細で情のこもった句が特徴で[2]、妻帯せず清貧孤高だった生き様から「日東の李清蓮」と賞された[2]。また、編著の『俳諧寂栞』は、三宅嘯山『俳諧古選』や五升庵蝶夢『蕉門俳諧語録』に先駆けた平易な俳論として知られる。出典:ウィキペディア

広瀬栄一氏は、考古学に造詣が深くそして正岡子規の高弟寒川鼠骨との交流もしていた文人でもあります。
根岸の子規庵が太平洋戦争の空襲で焼失した後に寒川先生が再建をするにあたり経済的援助をした方で、石岡市高浜にある白菊酒造の元社長です。

江戸中期の
俳文松尾芭蕉作。元禄3年(1690)4月から7月まで、幻住庵に滞在したときの生活感想を記したもの。同4年刊「猿蓑さるみの」に所収 出典:コトバンク
「奥の細道」の旅を終えた翌年の元禄3年(1690年)3月頃から、膳所の義仲寺無名庵に滞在していた芭蕉が、門人の菅沼曲水の奨めで同年4月6日から7月23日の約4カ月間隠棲した小庵。ここで「奥の細道」に次いで著名で、「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ」の書き出しで知られる「幻住庵記」を著した。
元は曲水の伯父幻住老人(菅沼定知)の別荘で、没後放置されていたのを手直しして提供したものであり、近津尾神社の境内にある。「幻住庵」の名前の由来も幻住老人の名に由来する[1]。芭蕉は当時の印象を「いとど神さび」と表現したが、その趣は21世紀の今も変わらず残っている。現在の建物は1991年9月に芭蕉没後300年記念事業「ふるさと吟遊芭蕉の里」の一環で復元したものであり、敷地内には幻住庵記に「たまたま心なる時は谷の清水を汲みてみづから炊ぐ」との記述があるように、芭蕉が自炊していた痕跡 ”とくとくの清水”が今も木立の中、水を湧き出している[1]。出典:ウィキペディア

多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てれば大変嬉しいです。
サイズは157.3×56.3㎝です。
写真にあるスケールは全長17㎝です。
状態は経年によるシミヤケと虫食いがあります。
発送は紙管等に巻いてゆうパック80サイズか折り畳んで追跡可能なクリックポストを予定しています。
入手時は折り畳まれておりました。
東北関東東海信越北陸地区の場合1200円です

石山の奥*、岩間のうしろに山あり。国分山といふ。そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし*。ふもとに細き流れを渡りて、翠微*に登ること三曲二百歩にして、八幡宮*たたせたまふ。神体は弥陀の尊像とかや。唯一の家*には甚だ忌むなることを、両部光をやはらげ、利益の塵を同じうしたまふも*、また貴し。日ごろは人の詣でざりければ、いとど神さび*、もの静かなるかたはらに、住み捨てし草の戸あり。蓬・根笹軒をかこみ、屋根もり壁おちて、狐狸ふしどを得たり。幻住庵といふ。あるじの僧なにがし*は、勇士菅沼氏曲水子*の叔父になんはべりしを、今は八年ばかり昔になりて、まさに幻住老人の名をのみ残せり。予また市中を去ること十年ばかりにして*、五十年やや近き身は*、蓑虫の蓑を失ひ、蝸牛家を離れて、奥羽象潟の暑き日に面をこがし、高砂子歩み苦しき*北海の荒磯にきびす*を破りて、今歳湖水の波にただよふ。鳰の浮巣*の流れとどまるべき蘆の一本のかげたのもしく、軒端ふきあらため、垣根ゆひそへなどして、卯月の初めいとかりそめに入りし山の、やがて出でじ*とさへ思ひそみぬ。さすがに、春の名残も遠からず、つつじ咲き残り、山藤松にかかりて、時鳥しばしば過ぐるほど、宿かし鳥*のたよりさへあるを、啄木のつつくともいとはじ*など、そぞろに興じて、魂呉・楚東南に走り*、身は瀟湘・洞庭に立つ*。山は未申*にそばだち、人家よきほどに隔たり、南薫*峰よりおろし、北風湖を侵して涼し。比叡の山、比良の高根*より、辛崎の松は霞をこめて、城あり、橋あり、釣たるる舟あり、笠取*に通ふ木樵の声、ふもとの小田に早苗とる歌、蛍飛びかふ夕闇の空に水鶏のたたく音、美景物として足らずといふことなし。中にも三上山は士峰の俤に通ひて*、武蔵野の古き住みかも思ひ出でられ、田上山に古人をかぞふ*。ささほが嶽・千丈が峰・袴腰*といふ山あり。黒津の里はいと黒う茂りて、「網代守るにぞ」*と詠みけん『万葉集』の姿なりけり。なほ眺望くまなからむと*、うしろの峰に這ひ登り、松の棚作り、藁の円座を敷きて、猿の腰掛けと名付く*。かの海棠に巣を営び*、主簿峰に庵を結べる王翁・徐栓が徒にはあらず。ただ睡癖山民*と成って、孱顔に足を投げ出し*、空山に虱をひねって坐す*。たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みてみづから炊ぐ*。とくとくの雫*を侘びて、一炉の備へいとかろし。はた、昔住みけん人の*、ことに心高く住みなしはべりて、たくみ置ける物ずきもなし*。持仏一間を隔てて、夜の物納むべき所など、いささかしつらへり*。
さるを、筑紫高良山の僧正*は、 加茂の甲斐なにがしが厳子にて*、このたび洛にのぼりいましけるを、ある人をして額を乞ふ*。いとやすやすと筆を染めて、「幻住庵」の三字を送らるる。やがて草庵の記念となしぬ。すべて、山居といひ、旅寝といひ、さる器たくはふべくもなし*。木曽の桧傘、越の菅蓑ばかり*、枕の上の柱にかけたり。昼はまれまれ訪ふ人々に心を動かし、或は宮守の翁*、里の男ども入り来たりて、「猪の稲食ひ荒し、兎の豆畑に通ふ」など、わが聞き知らぬ農談*、ひすでに山の端にかかれば、夜座静かに、月を待ちては影を伴ひ、燈火を取りては罔両に是非をこらす*。かく言へばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡を隠さむとにはあらず。やや病身、人に倦んで、世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移り来し拙き身の科を思ふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ*、一たびは佛籬祖室*の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ*、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば*、つひに無能無才にしてこの一筋につながる*。「楽天は五臓の神を破り*、老杜は痩せたり*。賢愚文質の等しからざるも*、いづれか幻の住みかならずや」と、思ひ捨てて臥しぬ。

先づ頼む椎の木も有り夏木立

出典:幻住庵の記

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